卒業したらどうするの?と聞かれる苦しさ
久しぶりの休日だ。
休日というか、やるべきことは溜まっているけど
今日は休むと決めた日。
うむ。もう何もしないぞ。
常に何か考え事を頭に浮かべながら、
(レポートのこと課題のこと発表のこと研究計画書のこと…
これから先のこと人生のこと…)
生活していると心底変な疲れ方をする。
いい加減、もういい加減、締め切りとか期限とかに慣れたいものだけど
胃がキリキリして手のひらがじわっと汗ばむような、精神的によろしくない焦りは
私の心をどんどんむしばんでいく。
辞めればいいのに。こんなに苦しまなくていいのに。そればかり考えている。
ずっと暗くて深い闇で、もがいているみたいだ。
****
よくよく聞かれる一言、「卒業したらどうするの?」
そう聞かれるたびに、私のほうこそ知りたいよ…と思ってしまう
大多数の人は専門学校や大学を卒業⇒就職という道に進むわけで、
私のような、いったん就職して大学院に戻るみたいな、
不思議な経歴をもつ人の心理が理解できないのだろうと思う。
というか、本当に知りたかったり、それ以外話題が浮かばなかったりするから
聞くのだろうけど、そういう直球の質問ほど堪えるものはない。
私はただ大多数の人が進むような、器用な選択が出来なかっただけ、
両親にたまたま理解があって、自由にやらせてもらえる環境にいるだけなのだけど。
大胆な行動≒大学院進学…と思われているのか。
そういう「大胆な行動」に出る人は、
何か強い信念をもっているかのように勘違いされる(もちろんそういう人もいる)。
さらに厄介なのは、自分の持ってるモノサシでなんとか理解しようとされること。
「そうじゃないけど…」と内心思いながら笑ってごまかすのが常だ。
先生は、私の経歴をよく誇張して紹介したりするが、本当に困るのでやめてほしい。
人生はそんなきらびやかなものではないからだ。
※よく画家の生涯をドラマティックに語る美術史家がいるけど好きではない。
私だって、どうしてこうなった(はたまた大学院生に?)と聞かれたら、
成り行きでこうなってしまった(合格したから)としか答えられない。
期待されている回答が提示できなくて本当にすいません。
でも大学院進学を後悔しているか?と問われれば、後悔はしていない。
この選択をしなければ得られなかったことが沢山あるから。
それに、今の彼氏にもきっと出会えていないだろうから。
大学院で学んだことのひとつ、世の中は所詮わからないことだらけということ。
わからないのに論文という形にまとめて、提出するしかないという苦痛。
自分の出来なさに向き合い、それでも発表し続けることをやめないこと。
これができる人が研究を続けていけるのだろう。
研究にだいぶのめり込んでしまったものの、辛くて仕方のない、
私のような存在がいてはいけませんか?だめですかね。
見切りをつけることも、さらに一歩進む勇気もない、
こんな私を許してはくれませんか。